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| 第2回『和製さん! いらっしゃ〜い!!』(古式ゆかしい和製○○を考える) 写真・文/バド石橋 何だかとても気になって、ついつい和製モノを探しちゃいました。
それはともかく、このように日本では様々な分野に和製○○と呼ばれる人がたくさんいる。これって、いったいどうゆうことなのか? 外人=オリジナルで日本人はまがい物という意味合いにもとれる和製○○…。 何だかとっても気になる・・・。そのオリジナルと和製側の各々の仕事ぶりを見て行くことによって、何かユニークな日本人論が引き出せるのかもしれない。 先ずは、音楽の世界から、和製エルビス・プレスリー。誰がそう呼ばれていたのかなあ、昔はよくどの歌手もプレスリーナンバーを歌っていたのでちょっとピンと来ない。ロカビリー全盛時代の山下敬二郎なんかもそんな雰囲気丸出しでやっていたような…。なにしろ、そのころ、だいぶ子供だったのであまり詳しく覚えていないのだな。そうそう、山下はあの伝説のコメディアン・柳家金吾楼の息子でロカビリー歌手ではすごい人気だった。でも、歌はすんごく下手だった!! 他には「カナダからの手紙」でフニャフニャしながら歌ってたロリコン平尾昌晃もウエスタン・カーニバル(ってのももうそろそろ知らない人ばっかりになっちゃった)の常連。フニャフニャで思い出したが、ロリコン平尾は自分とこに通う歌手志望のオネエチャンといざエッチしようとしたが、立たないもんでオネエチャンに「どうにかしてよーん」とオカマ言葉で懇願。オネエチャン、そのフニャチンにも呆れたが、あまりのミニサイズに思わず笑ってしまった…なんて相当前の「噂の真相」にに書いてありましたっけ。それ以来、平尾をテレビで見るたんびに、「あ、あのフニャミニが出てる」と思っちゃううんだなあ。ああ、だいぶ横道それたが、そんな平尾だが、彼も和製プレスリーと言われてたって、こんな話の後では説得力がないか。 ところで、50年代から60年代は日本で省略して言う場合、プレスリーと言ってたが、70年代からはエルビスと言うようになる。これは、エルビス・プレスリーが60年代後半は既に過去の人で忘れ去られていたが、突如、ラスベガスのライブで大復活。映画「エルビス・オン・ステージ」の大ヒットで新しいファンを獲得。この映画をきっかけにエルビスという言い方が一般的になったわけ。 本題に戻ると、色んな和製プレスリーがいたけど、容姿的に一番それらしいのが佐々木功かなあって感じだ。故小坂一也もそう呼ばれていたことがあるが、小坂はどちらかというとカントリー男だし、第一、風貌が昔っからオヤジ臭いから和製プレスリーは図々しいと思う。 Pヴァインレコードからちょっと前に発売された佐々木のシングルを集めたCDの帯には「和製プレスリーの王者」とあるのがおかしい。このキャッチコピーを信じれば和製プレスリーの本命は佐々木功で決まりのようだ。 佐々木は1942年生まれ。高校生の時にプレスリーにハマり、日本テレビののど自慢に出場。風貌がプレスリーにそっくりなことからスカウトされる。そして、ウエスタン・キャラバンというバンドに在籍後、1960年、本家プレスリーの兵役除隊にひっかけ、佐々木も軍服を着た写真を撮り各マスコミに配って評判になった。デビュー曲はプレスリーの「本命はお前だ」のカバー。以後プレスリーのカバーは「G.Iブルース」「ロッカ・フラ・ベイビー」など。他に映画主題歌の「バファロー大隊」、007でおなじみジョン・バリーの初期作品「狂っちゃいないぜ」、ジョン・レイトンの「霧の中のジョニー」の第2弾「ひとりぼっちのジョニー」など主に洋楽のカバーを続々と出す。その間に、大島渚監督の目に止まり、「太陽の墓場」に抜擢される。以後、10本あまりの松竹ヌーベルバーグといわれた作品群に出演。ヌーベルバーグ俳優として、一時は話題になる。が、歌手業に専念したいと映画の仕事を減らして行く。ところが、皮肉なことに、肝心の歌の方は3年間で16枚ものシングルを出したがヒット曲は生まれなかったのだ。 その後、TVの歌番組「7時に逢いましょう」の司会をつとめるが、これは好評だった。そして、人気忍者番組「隠密剣士」の流れをくむ「妖術武芸帳」の主役になる。特撮を駆使したお子さま時代劇だったが、残念ながら一部のマニアを喜ばせただけだった。そのマニアとは後にどうしようもない大人になる私バド石橋その人である。なんといっても主題歌というか歌前の語りが最高だった。「シュ!ピキーン!!(手裏剣を投げ、それを剣で弾き飛ばす効果音)。そも妖術とは心の技(わざ)。深く沈むれば万人、その掌中にあり。中略。森羅万象おのが意のまま。恐るべし、恐るべし…。♪走れ どこまでも〜」なんて引用が長いが、すんごい名作だと思う。この後、同様の特撮忍者もの「仮面の忍者・赤影」は当たるんだけど。 というわけで俳優復帰も大した話題にはならずに、低迷していった佐々木だったが、彼を救うのがやはりエルビスなのである。TVの洋画劇場のプレスリー映画を引き受け、これが評判が良かったことから声優の道に入ることに。70年代には「宇宙戦艦ヤマト」などアニメや特撮ヒーローものの主題歌でブレイク、今度はささきいさおとして、和製プレスリー時代をまったく知らないちびっ子たちにも名前が知られる存在になるのだから人生ってのは分からない。と、と、ところで、この恐ろしく長い芸歴じゃ現在、相当なオジイサンと思ったが、実は58歳ってこの波乱万丈な芸能生活の割には若いですよね。じゃ和製プレスリーは何点? 肝心の佐々木の和製プレスリーぶりはどんなもんだろか。ウーン、今でも、NHKBSあたりの懐かしのポップスなんかには時々出てプレスリーの「監獄ロック」や「ラブ・ミー・テンダー」とか定番のあたりを歌っている。人が良さそうで、歌い方も変にアレンジしてなくて好感持てるけど、やっぱツライですね。佐々木の声質ではあの本家のこうワイルドな中にもHな部分や、バラードを歌う時の包みこむような雰囲気が出ない。デビッド・リンチの映画「ワイルド・アット・ハート」でニコラス・ケイジがプレスリー狂いの男を演じ、歌まで歌ったが、彼はソックリでビックリしたけど。そのケイジから比べると我が佐々木さんは残念だがかなり劣っている。あ、またまた思い出した。かつて、ある雑誌の取材で無名のプレスリーそっくりさん・伊藤聖使さんに会ったことがあった。彼は結構な二枚目で衣裳も決まっており、メンフィスで本場の人の前で歌って来ると言っていたっけ。彼、佐々木功よりウマイとうまかったが、その後どうしたか…。 というわけで、ますます歩の悪い佐々木功の、さて和製プレスリー度は何点だ…ジャジャジャジャン!38点。クウ、辛すぎかあ…。すいません、佐々木さん。 それまで、エルビス・プレスリータイプの歌ばかりだったポップスシーンが革命のように一転するのはビートルズの出現だった。ということで登場するのは和製ビートルズ=東京ビートルズだ!と、大書しても東京ビートルズではそのネーミングからして虚脱してしまうなあ。 「ラブ・ミー・ドゥ」でデビューしたイギリスはリバプール出身の4人組はあっというまに世界中を制覇。その活躍ぶりは伝説になるほど有名で詳しい解説は省くが、とにかくこの世界的なアイドルに対して、対抗する我が和製ビートルズこと東京ビートルズは1964年4月「抱きしめたい」とC/W「プリーズ・プリーズ・ミー」のシングルを発売。いや、そのことには文句をつける気はない。こういうヒット曲のカバーを出すことは最近の郷ひろみ「アチチ」とか野口五郎=GOROのサンタナ便乗企画「愛はメラメラ」の例を出すまでもなく、我が日本レコード界の伝統のようなものだから。だけど、東京ビートルズの失敗とは、それまでのカバーのセオリーを踏襲、日本語歌詞を付けてしまったことだ。もう1964年といえば、10月にはオリンピックが東京で開かれようって時。世の中、総一億が国際化しなくっちゃと背伸びして横文字に慣れようとしていたってのに日本語はないだろう。ポップス革命っていわれてるのに「あなただきしめた〜い!!」じゃないだろう!哀しくなるほどダサい日本語で歌われるビートルズナンバーがこんなにも恥ずかしいとは思わなかった。ちなみに、この年、ビートルズを差し置いて、イギリスからリバプール・ビートルズ(実はリバーブ・ファイブというグループ)なる便乗バンドが来日。さぞやブーイングものかと思ったら、結構ちゃんとした演奏で、日本の観客は度胆を抜かした、なんて伝えられる。 さて、和製ビートルズ=東京ビートルズの評価は19点だ。本来は9点だが、こうやって後世にまでその間抜けさで笑わせてくれることに対しての10点が加わっている。 それまでのアメリカ中心のポップス事情がビートルズに始まるイギリス勢によって占められていくのが1963〜1966のこと。これをブリティッシュ・インベイジョンなんていうが、その攻勢が終わった頃、やはりイギリスからすんごい荒々しいボーカリストが登場する。それまで、イギリスのボーカリストといえばクリフ・リチャードだったが、それに迫る勢いで飛び出したのがトム・ジョーンズだった。そうそう、クリフはそういえば、イギリス版エルビスといわれたこともあり、アメリカではエピゴーネンとしてサッパリ売れなかった。そして、新人のトムはというとその歌声こそ虎の咆哮と比喩されたりして、エルビスぽくなかったが、オバちゃん人気は絶大でポストイギリス版エルビス的存在になってしまう。 オバちゃんたちに熱狂的に指示された原因ははその下半身の動きだといわれる。かつて、プレスリーはその動きが卑猥といわれ、TV初出演の「エド・サリバンショー」では上半身しか映さなかったといわれるが、トムの腰の動きはもっとダイナミックで、腰だけはプレスリーを凌駕するスケベさ。人気絶頂の当時、彼がホストの「ジス・イズ・トム・ジョーンズ」ではもう、オープニングのテーマ「よくあることさ」(最近、男性用ボディローションのCMで使われている)に乗って登場しながら腰を振りっぱなし。スタジオに集まったオバチャンたちは絶叫。汗をかいたハンカチをトムに渡す、渡す。もう、エルビスというより、男性ストリップに近い。そうそう、素人の男性ストリップを描いた英国映画「フル・モンティ」ではなんと、やっとこさステージまでこぎつけた連中が踊り出すバックに使った曲はトムの「そこを帽子でかくさないで(直訳)」でだった。と、今ではトムはキワモノ扱いだが、007シリーズの4作目「007/サンダーボール作戦」のテーマソングで彼を知って以来のファン(一時はファンクラブに入っていた!)である、私としてはいささか複雑な気持ちでありまして。そして、かつて私のように、トムを真面目に崇拝していたのが布施=元オリビア・ハッセー夫=明氏(最近ではなぜかニッカーボッカー姿の肉体労働者スタイルでAMPMのCMや奥田民生のマシマロのビデオ・クリップに登場。そのトボけたキャラにちょっぴりだけど人気あり)であります。 「霧の摩周湖」「愛の園」「恋」などヒットを飛ばしていた絶叫型の布施は当初、カンツォーネに影響を受けていると言われていたが、トムが登場すると、TVなどでトムのナンバーを良く歌っていた。同じキングレコード(トムはロンドンレーベル)でもあったのでトムのレコードのライナーに彼をどれだけ好きかが熱く書かれていたものだ。ちょっと、あまりに声質が違うのではないかと思っていたが、ずいぶんトムかぶれの時代は続く。その後、小椋佳に「今の歌い方は合っていない」なんていわれ、その指示に従い「シクラメンのかおり」を歌い、賞まで獲ってしまった。ついせんだって、BSで懐かしのヨーロッパヒットをやっていたが、布施はカンツォーネが得意と歌っていた。彼にはこっちの方が断然あってるみたいだ。気になる和製トム・ジョーンズの布施=元ジュリエット夫=明(シツコイ?)の点数は41点。 そして、今度は本当にその虎の咆哮っぽい歌い方をする歌手が日本に登場する。 「また逢う日まで」の尾崎=もみあげ=紀世彦だ。ウエスタン・バンド出身の尾崎だったが、グループサウンズのズー・ニー・ヴーがオリジナルのこの曲をタイトルを変えて尾崎に歌わせたところ空前の大ヒット。レコード大賞、日本歌謡大賞の二つを制覇してしまった。彼などはもちろん意識して、ライブではトムのナンバーを歌い、これはもう声質などは布施よりはぴったりだった。物凄いもみあげなど風貌もどことなく西洋風で、当時ハーフ説があった。そういえば、高校生のとき、ガールフレンドから誘われて見に行ったのが、地元青森にやって来た尾崎。ライブ会場の市民会館には三沢基地の外人女どもが駆け付けキャーキャー騒いでいて、壇上に上がって花束を渡していて、すげえやっぱり外人にも人気あるんだとびっくりしたが、今思うと、あれは主催者あたりのヤラせかもしれない。 でも、本家トムの人気に陰りが見える頃よりもっと早く、尾崎の人気は失墜。第2弾シングル「さよならをもう一度」まで止まりだった。どうも、歌謡曲にしてはアクが強すぎたようで、すべての曲が受けるというわけにはいかなかった。この時代の歌謡界では抜群の歌唱力の持ち主は一発ヒットは出せても以後は続かないという法則があるようだった。その後、歌謡界でのヒットが途絶えていた頃、突如、大林宣彦監督の「ハウス」にチョイ役で出演しコミカルな演技を見せる。アレって、たぶん大林監督の知り合いかなんかということなんだろう。笑えたかというと、客席はシーンであります。 ところで、本家トムは低迷していたが「恋はメキメキ」なんてめちゃくちゃな邦題の新曲がちょっと前に笑える、ということでチョイヒット。「マーズ・アタック!」に出演したり、前述CMでヒット曲の「よくあることさ」が使われたりして、結構復活している。噂ではカマ筋に人気集中なんですと。昔、オバチャン、今オカマ。もう何だっていい、売れれば、ですよね。 で、和製トムはどうかというと、ああ、時代は繰り返す、またまた尾崎人気が盛りかえしている。「夜もヒッパレ」の“セコハンあの人は今歌手”の常連ではあるけれど…。気になる尾崎紀代彦の和製トム・ジョーンズぶりは58点。内訳は昔は49点、今は髪を三つ編みにしたりしてどうにもイメージじゃないので9点、合計58点。 60年代前半、イギリス、イタリア、そしてフランスの歌手も大人気だった。この時代、フランスでひとりといえば、アズナブールでもアダモでもない、シルヴィ・バルタンと言い切る私だ。映画「アイドルを探せ」で舞台のシーンで1曲歌うだけだが、もうその可憐なルックスにシビれた。その映画のタイトル曲の「アイドルを探せ」も大ヒット。数あるバルタンのナンバーで、やはり1曲といえばこれ。彼女は文字どおり、日本のアイドルになり、私生活ではやはり歌手のジョニー・アリディと結婚。夫婦共演が話題になった「ジョニーはどこに」なんて映画も生まれた。でも、その後が悲惨で交通事故で顔面を怪我するというアクシデントに遭う。たしか整形で顔は復元というより、なんだかプレイボーイのピンナップ系のオネエチャン顔になっててっちょっとガッカリしたっけ。でも、ちゃんとカムバックして、以後「哀しみの兵士」「愛のシンフォニー」などのヒットがある。現在、日本ではジェーン・バーキン人気ばかりだが、フレンチ・ポップスならこのシルヴィ・バルタンも忘れないでくれ、と今でもいるなら渋谷系の皆様方に強く言いたい。ところで、ウルトラマンのバルタン星人のネーミングは彼女から取られたんだよ、有名な話だけど。そのことを本人は知ってるのか、どうか最近気になって気になってしょうがない。そのことを知ったら、訴えるのか、バルタン星人とツーショットで写真に納まるか、誰は私と賭けません? で、和製バルタンが奥村チヨってのは意外でしょ? チヨさんはどうにもあの「恋の奴隷」「恋狂い」「恋泥棒」といったSMお色気路線のイメージが付いて回る。ちょい前のみうらじゅんさん仕掛けのブレークで2枚組CDが出たが、あの選曲はあんまり好きではない。私ならお色気路線を抜いた選曲をしたい。あのCDが出た時は、かなりガックリして、それならとコレクションレコードからマイ・フェイバリットな編集テープを作った。60分テープに3巻。彼女の初期録音のヨーロッパポップスや「ごめんねジロー」(このジローだって、二郎ではなくフランス名にあるジローのイメージだと思う)、「青い月夜」そしてベンチャーズサウンドの「北国の青い空」などを含む「アーリータイム・チヨ」、そして国内外のカバー集「カルト・チヨ! ポップス編」ではなんと「ゴッドファーザー」、トム・ジョーンズの「ラブ・ミー・トゥナイト」を堂々と歌い倒すチヨちゃんが収められている!!これ聞きものでっせ。 というわけで、実は彼女は初期にはカンツォーネやフレンチ・ポップスも歌っていて、ほんの一時だけ、和製シルヴィ・バルタンと呼ばれた時期があるようだ。たしかに図版で使っている「あなたがいなくても」そのB面の「私を愛して」なんかはその雰囲気ではある。それから、あの鼻に抜ける歌い方や甘え声ばかりが目立ってしまうが、彼女の本当の魅力は低音部分だと思う。その昔、彼女がデビューしたての頃、今で言うユンケルのような精力飲料のリキホルモのCMソングを歌ってて、これがあの弘田三枝子ばりのパンチの効いた(って表現も最近いわなくなりましたね)歌い方でなかなかH、当時、小学生低学年だった私はもうテレビの前に先走り汁こそ出してはいなかったが、CMが流れるたびにかぶりついていた。 で、その低音がどうシルヴィかというと、あんまり関係なく、ただただ、初期の服装や髪型などイメージがシルヴィ・バルタンしていたというのみでありまして、点数はといいますと、これが69点なんですね。なんでそんなに高得点なんや、というと、ハイ、私、チヨちゃん命なんです、スイマセン!! ブリティッシュ・インベイジョンで忘れてはならないのがローリング・ストーンズでした。一時は本当にビートルズの真似もの曲も出したことがあったが、後には脱却して、今だカリスマ人気があるのはよーくご存じだろう。そして和製ローリング・ストーンズっぽいバンドはは60年代、狂い咲きしたグループサウンズの中にいくつかあった。ところで、GS(ガソリンスタンドではないグループサウンズ)ブームは、ほんの3、4年のことなのにいまだに語られているのがすごいなあ。このグループサウンズ3大バンドがタイガース、スパイダースそしてテンプターズだったけど。なかでも埼玉出身のテンプターズはブリティッシュサウンドがやりたくて結成したバンドで、特にローリング・ストーンズはかなりな心酔ぶりだったらしい。おなじR&Bバンドならゴールデン・カップスもそれらしく、スパイダースはもろブリティッシュだけど、ま、ここではテンプターズということで話を進めよう。 まず、彼らのデビュー盤がすごい。B面はグラス・ルーツのヒットで有名な「今日を生きよう」のカバーだが、A面オリジナルの「忘れ得ぬ君」は作詩/作曲はリードギターの松崎由治でノーノーノーで始まるゆっくりとしたテンポの哀調を帯びた曲でデビューにしてはおとなしいがそこそこ売れたものだった。でも、この曲、よーく聞いてみると、なにかどっかで聞いたことがあるようなメロディだ。そんなにコアな洋楽ファンでなくても、すぐ分かる。なんと元ネタはストーンズの「黒くぬれ!」なのだ。 「忘れ得ぬ君」はほぼ「黒くぬれ!」のメロをただゆっくり演っているだけ。「忘れ得ぬ君」の初めのノーノーノーの部分「黒くぬれ!」のイントロにソックリ。似てる率83パーセント。泥棒指数90。もう解散して20年は経ってるから時効だとはいえない。再発になったCDでは印税もらってるんでしょ。 かまやつひろしが作曲をしてて、「ああすごい傑作ができた!」って通して演奏したらビートルズの「イエスタデイ」だったって話はあるが(これって、自分達は決してパクリなんかしてない。似てるのは偶然の産物なんだよということを暗にほのめかしているようだ)松崎氏の場合、あまりにストーンズマニアなので、もう体全体にストーンズ色が染み付いているからこうなったのだろうか? とにかく、あまりのソックリぶりに、改めて何度も聞いてしまった。 この後、彼らはプロの作曲家による甘〜いメルヘンチックなまるで少女マンガのような「エメラルドの伝説」を歌い、大ヒットし代表作になってしまう。「俺たちゃ硬派なR&Bバンドなのにこんな軟弱な歌が歌えるか!」とふて腐れて録音をしたというが、デビューがこんなパクリでは、所詮、埼玉のローリングストーズなのかなあ。 そういえばストーンズといえばオックスだ。一時は演歌歌手に転身した真木ひでとがボーカルで女の子のようなキーボードの赤松愛が大人気。ストーンズの「テル・ミー」をライブで歌うと、最後のリフレインで赤松が失神、それにつられて観客の女性が次々倒れ、大騒動になった。赤松は当然、やらせだけど、客の女の子たちは集団催眠状態になってバタバタ。以後、オックスは失神バンドと呼ばれた。ちなみに失神歌手ってのもいて、これは応蘭芳(おうらんふぁん)。テレビシリーズ「プレイガール」や「マグマ大使」のマグマの随分背丈の違う妻役の女優さん。また横道それた。 てな感じでオックスは「テル・ミー」を得意ナンバーにしてたが、、だからといってオックスは和製ストーンズとは呼ばれなかった。第一、ストーンズは「テル・ミー」で失神なんかしなかったし、オックスのあのナヨナヨルックスではストーンズたりえないのだ。で、栄えある和製度はテンプターズが34点。オックスは11点を進呈しよう。 『表彰第1回 和製度コンクール』 1位 和製シルヴィ・バルタンの奥村チヨ 69点 2位 和製トム・ジョーンズの尾崎紀代彦 58点 3位 和製トム・ジョーンズの布施=千昌夫と並ぶ巨根らしい=明 41点 ブービー賞 和製ビートルズの東京ビートルズ 19点
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